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昭和40年代、年齢が分かってしまうが、私の入学した小学校は木造二階建てだった。
あの頃は当然背丈も小さく、そのそびえ立つ校舎がとてつもなく大きく見えた。
グランドもしかり。
校舎の中は廊下も壁も当然教室の中まで全て木でできていた。
廊下は歩くたびにギシギシと音がする。
階段も同様。
小さい足を載せるたびにギシギシと木が軋む音がした。
なんとなく、全体が薄暗く校舎の歴史がヒシヒシと小さい心に刻まれた。
教室の情景が今でも鮮明に浮かぶ。
先生が立つ向こうに広く掲げられていた黒板。
自分が座っていた木造の椅子、木造の机。
薄暗いけれどなぜか心温まる雰囲気。
雨が降っていた。
強い雨だった。
校舎にどんどん雨が降る。
水が川になって校舎から外の道に流れていく。
私が歩いてきた道は、まだ舗装されていなかった。
その未舗装の道に容赦なく校庭から流れる雨水が川となって流れていく。
道に流れ込み雨水が窪みをつくり川になって流れていった。
先生は何か言っていた。
でも私は全く聞いていなかった。
心に残るのは外の景色と薄暗い教室の情景。
入学し、1学期までその木造校舎で学び、二学期夏休みが終わった時から別の場所にできた新築の鉄筋コンクリート校舎へ移った。
幼心にもあの木造校舎にもっと、もう少し通学したかったと思っていた。
鉄筋コンクリートの新築校舎には、馴染めない何かが欠けていたと思っていたのかもしれない。
あの木造校舎は今はもうない。
でも、私の心の中には永遠そびえ立っている。
懐かしい校舎の風景とともに。
縄文土器
考古学博物館で発掘された土器を洗浄する仕事をしてみた。
前々から縄文時代には興味があった。
今から1万5000年前から約2300年前の時代の遺跡に直接触れることができる。
想像の中で気持ちは高ぶる。
土器の破片は様々だが、様々な模様や穴が開いたものもある。
土を水で洗いながら、どんな模様なんだろうと洗浄後の姿が洗いながら楽しみになる。
この時代は一体どうなっているのか・・・。
学生時代に学んだ知識が本当かどうかは定かではないが、学者の言っていることが全て正しいなどと全く思っていない私だが、土器は嘘をつかない。
様々な模様が露わになるにつけ、ついつい気味が悪い模様も多々あることに気が付く。
新円に近い模様の横に、竜の鱗のような波打つ模様があったり、丸い穴が対角についた角ばった土器の破片やら、縄を押し当ててつけたと言われる模様にしても、あまりにも綺麗にしかも直角に曲がった感じでついている模様は、とてもじゃないが、粘土をこねくり回しながら付けたとは思えないほどだ。
明らかに人間業ではないと直感的に感じた。
土偶のレプリカが博物館に展示してある。
この遮光器土偶、など明らかに宇宙人そのものだ。
火焔土器など、岡本太郎ではないが、全く信じられないくらいの芸術的な作品だと感じる。
当時の状況を見ることができないので、真実をしることはできないが、異星人の関与は確実にあると私は思う。
確かに人の発想でできる形や模様は、身近にある自然などを参考にするのが
普通であろうが、土器の模様に花や木や草などの模様は見当たらない。
火焔土器についても、日本全国いたるところから出土するというから、あれだけの芸術的作品を作ることができるアーティストが無数にいたことになる。
タイムマシンがあったなら、是非見に行ってみたいと思う。