ショートピース
タバコを吸い続けてきたけれど、全く侮っていた。
ノックアウトされた。
高校生の頃に、カッコつけて隠れて吸ってた時は全く分からなかった。
ショートピースである。
世の中にこんな美味いタバコがあったのか…。
両ギリゴールデンバットを吸って、フィルターを通さないタバコ本来の味と風味、吸い方を覚えてから、フィルターの存在に疑問を持っていたが、タバコとは本来こういったものなんだろ…。
ゴールデンバットは確かに美味いが、ショートピースは段違いだ。
一口吸って、口の中に広がる香りと優しい風味は他に類がない。
フィルタータバコを何十年も吸ってきたが、あれは何だったんだ?
タバコの本来の味を知らなかった。
たしか、ずっと以前 筒井康隆が缶ピース1日2缶吸うと言ってたのを読んだ気がするが、当然だと思う。
ただ、ロングピースはダメだ。
決して美味いもんじゃない。
バニラエッセンスの香りだけのタバコだと思う。
タバコは嗜好品だから、それぞれ好き嫌いがあるので、あくまで私個人の感想だが。
やっぱりタバコはやめられないね。
揺れる明り
人には言えないが、世の中には確実に私たちが生活している日常とは違った空間が存在していると私は思っている。
それは、小さいころから体験してきた様々な出来事が私に確信を持って教えてくれている。
脳科学者に言わせれば、脳の誤作動だと一笑されてしまうかもしれないが、そうだとは言えない現象に遭遇すると、それが当然の様にそこにあるものだと思われてしかたない。
つい最近も不思議な出来事があった。
元来、能天気なのかこれまで生きてきて不眠症というものになったことがなかった。
あの出来事が起きる前までは・・・。
ほんの数か月前の出来事。珍しく夜中に目が覚めた。
私は眠るときに照明があるとよく眠れないので部屋はいつも真っ暗にしていた。
時間を確認するために、枕元にあるはずのスマホを手さぐりで探した。
当然真っ暗な部屋なので、何も見えずあちころ手を動かしてやっと掴んだ。
寝付く前にスマホでネット検索等する習慣があり、明るさを最低レベルにしているため、スイッチを入れると、薄暗い明りの中で画面が現れた。
時間は確か3時10数分頃だった。
目が覚めてしまい寝付けなくなったしまった私は、布団に入ったままニュースを読み始めた。
私の家は二階建ての一軒家で 三人の子供達と住んでいる。
寝室は、私が一階の和室、子供達は二階の各自の部屋で寝ている。
一階の間取りは、リビングダイニングキッチンが1つの空間になっていて敷居はない。ただ、私が寝ている和室だけが襖で仕切られている。
二階には子供たちが三人寝ているため一階にいるのは私だけだ。
私は一人いつものように襖で仕切られた和室で、布団にくるまり真っ暗な中スマホでニュースを読み始めた。
数分たった時、シーンと静寂に包まれた家の中で、「ゴトッ」と音がした。
キッチンの方だ。かすかな物音。キッチンもリビングも当然電気は消してあり真っ暗なはずだ。
たまに音そんな音がするときがあるので、特に気にすることもなくそのままニュースを読んでいた。
数十秒してまた、「ゴトッ」と音がしたかと思うと、続けて「ガサッ」「ザッ」とかすかな音がする。
誰かがいるような気配だ。
夜中、子供達の誰かがキッチンで夜食を調理したり水を飲みにきたりしている時があるので、三人の娘の内の誰かが私を起こさないように気を使って、そっと動いているんだろうと、それほど気にせずそのまま布団の中でニュースを読んでいた。
「ガサッ」「ガサッ」と続けてかすかな音がする。
ナイロン素材の服の擦れる音のような音。
やはり、キッチンの方だ。
「ガサッ」「ガサッ」「ザッ」「ザッ」と小さな音が連続して聞こえる。
相変わらず子供の誰かだろう。と私は全く気にすることもなくニュースを読み続けていた。
そのうち、「ミシッ」「ミシッ」とフローリングをゆっくり踏みしめ人が歩くような小さな音がキッチンから少しずつ私のいる和室の方にむかってきた。「ん?」
ここにきて、さすがの私も「なんだろう?」と襖の向こうの音に注意をむけ、スマホから目を離し襖を見つめた。襖は三枚あり襖は締め切ってはいる。
そこで、驚愕した。
薄暗い明りが感覚を空けて数本縦に漏れている。
そのとき初めて気が付いたが、襖と襖の間には微妙な隙間があり、そこから薄暗い明りが揺れながら漏れていた。
隣のリビングは真っ暗のはずなのだ。
もし、子供達の内誰かがキッチンで何かをしているなら、キッチンの小さい蛍光灯を点けるだけで事足りる。
リビングに来るのであればリビングのの電気は点けてから来るはずだ。
明らかに異常な出来事に、思わず見入っていた。
その明りは白くLEDのライトの様な明りだ。
もしや、子供がスマホのライトを点けているのかとも一瞬思ったが、明りが炎のように揺れていることでそうではないと瞬時に気が付いた。
少しずつ「ミシッ」「ミシッ」「ミシッ」とゆっくり、ゆっくり近づいてくる。
襖の間から縦に漏れる明りも揺れながら少しずつ大きくなってきた。
真っ暗な和室に入ってくる明りは相当明るくなってきた。
LEDライトの様な白く明るい色だが、炎のように揺れている。
これは子供じゃない。確信した私はあまりにも異常な状況に慌てて布団を跳ね除け立ち上がり、思い切り襖を開けた。
瞬間、暗闇が目に飛び込んできた。
何の変哲もない、いつもの夜中3時過ぎの暗い部屋が私の前にある。
心臓がバクバクいっていた。
それから、寝付けづ部屋中の明りを全て点け異常事態に備えてまんじりともせず朝を待ったが、それ以後何も起こらなかった。
それ以来、就寝時には小さな電灯をつけていないと安心して眠れなくなってしまった。
その時感じたのは、キッチンで「ガサッ」「ガサッ」「ザッ」「ザッ」かすかな音がしたとき、ナイロンが擦れるような音は、別の空間から何者かが表れてきていたような音だったのではないかと思う。
瞑想
最近瞑想をするようになった。
瞑想というとヨガをすぐに思い出すが、そうでもないらしい。
現代医学では脳が全ての司令塔であって、脳がその人の考え方や行動を決定しているとしている。
一時マスコミに頻繁に出ていた茂木何とかという脳科学者はその最たるものだ。
しかし、それに反論したいと私は思う。
一例として私たちが自分を指さすときにどこを指すかを考えてほしい。
誰もが、自分の胸を指さすだろう。胸といっても決して心臓ではない。
あくまで胸の中心だ。
決して脳がある頭は指さない。
これが全てを物語っているように思う。
誰もが心の奥底で自分の意識がハートにあると理解している証拠だと思う。
あのハートマークのハートだ。
私たちは心が全てであり、心=魂が本来の姿だと無意識に認識していると思う。
だから、瞑想をすることによって本来の自分、潜在意識とつながることによって、日常生活を支配している顕在意識にヒントを与えることができると思う。
瞑想をしていると、時々不思議な感覚になるときがある。
何かの声が聞こえたり、体から浮かび上がったような体など無い様な感覚になったりする。
今日などは、瞑想の途中で急に何かが爆発したような感覚があった。
決して爆弾が爆発したような感覚ではなく、あくまで比喩的な表現で言葉では上手く表現できない感覚があった。
そのため瞑想を中断せざるを得なかった。
ほかにも、瞑想中は第三の目と呼ばれる眉間の中心が重くなることがよくあった。
私たちは日常全てのあらゆる行動や発言等全て一瞬一瞬決断をしながら生活している。
この決断を行った後で間違いだったとおもうことも多々ある。
ああすればよかった、こうすればよかった。等等。
だから、少しでも感性をき直感を鋭くすることによって後悔しない生き方をしたいと思う。
瞑想は直感を鋭くするという。
決断をするときに迷うことがよくあるが、迷うときは大体間違っている。
それは、脳(顕在意識)が考えるからだ。
損得勘定が必ず入り込むから、直感での判断を誤らせる。
ここを鋭くすることによって、直感を信じ切ることができるようになれば決断時迷ううことはなくなる。
瞑想をして潜在意識と繋がることによって顕在意識下でも潜在意識に繋がりやすくなる。潜在意識は全てを知っているというから間違わないという。
直感というのはこの潜在意識からの指示のことだという。
一度あなたも瞑想をためしてみてはいかがだろうか。
良いことと悪いこと
流れに逆らわないように生きることは、とても重要だと常々思います。
世の中は、思うようにはなりませんが、でも、思うようにならないことがいつか思うようになる準備段階だと思います。
急がばまわれと言うように、一番の近道は今あること目の前の出来事に最前を尽くして当たることだと思えるようになりました。
無理を通せば道理引っ込むを続けていくことが、どれだけ危険なことか。
ブーメラン現象ということを皆さんご存知ですか?
自分の行いや言動は、必ず自分に向かってくる。
良いことも悪いことも。
一般的に良いこととは、自分にとって都合の良いことを指します。
悪いこととはその反対ですね。
でも、もともと良いことも悪いことも無くその出来事そのもの、あるのはその事実だけです。
そこに感情が加わって良いことと悪いことになります。
ただ人に対してする行いで、相手に喜ばれることと怒らせることはあります。
その現象が自分にブーメランのようになって帰ってくるのだと思います。
そこで、流れに逆らわないという考えが浮上してきます。
自分にとって都合の良いことばかりを考えていても、この世の中で生きている以上都合の悪いと思われることも当然発生してきます。
でも、出来事はただただ事実だけであり淡々と受け取る姿勢が必要なんでしょう。
そういう態度で常に接していればおのずと都合の良いことが起こるときも来ます。
私は未熟者ですから、常に淡々とした態度で接することができません。
でも、私の経験はそれを知っています。
ブーメラン現象は必ず起こることを。
時の流れ
いつの間にか時は流れた。
過去の思い出を心に残して。
大切に思えた人達も、新しい出会とともに消えていった。
永遠に続くと思えていた時は、限りあるものだと気が付いて
まぶしく輝いていた情景は、モノトーンの色彩を伴って少しずつ霞がかかっている。
楽しかった時も、懸命に生きた時も、涙を流した時も、いつか記憶の隅に
でも決して忘れたりはしない。
雲が流れている。
あの頃の雲がどんな形だったか忘れたけれど、なぜか懐かしい。
眩しい光に満たされていた暑い夏、風が木枯らしとともに悲しみを連れてきた秋、銀色に輝いてワクワクさせてくれた雪の降る冬、花の香を伴って新緑の緑に新しい希望をくれた春。
いくつもの季節を繰り返し過ごしてきた。
いつもいつの時も精一杯生きてきた。
悩み悩んで涙を流した時も
満面の笑顔で笑いあった時も
振り上げたこぶしを振り下ろす場所が無く壁を血で染めた時も
全て幻になったけど、
今は楽しい思い出しか残らない。
聞こえてくる 頬をなでる風の音
心の中で
笑顔が浮かぶ
ゴールデンバット新型
禁煙が叫ばれて久しい昨今。
時代に逆行するようなことを書いておく。
このタバコは平成28年6月以降にフィルターが付いたことによって、とてつもなく美味しいタバコに変わったと感じる。
私は、ラム酒を飲んだことがないので風味というものは分からないが、パッケージに記載されたSWEET & MILDの謳い文句に嘘はないと確信した。
ラム酒の話を書いたが、ゴールデンバットを語る上でこのラム酒という言葉があちこちに転がっている。
ゴールデンバットを吸うたびに何となくこの意味が分かる。
価格は260円と国産たばこでは最も安価な部類に属するが、価格以上あるいは3倍4倍の旨さがある。
タバコに火をつけ一息吸い込む。
以前の両切りだった頃は、ここで咽こんでしまうためゆっくりクールスモーキングと呼ばれる吸い方が必要だった。
また、パッケージはセロファン未包装だったこともあり、カラカラに乾ききったタバコは加湿が足りずに苦く辛かった。
本来のSWEET&MILDの風味を味わうためには、適度な加湿がどうしても必要だった。
しかし、しかしだ。
フィルターが付き、未包装だったセロファにも贅沢に包装されたため、封を切った瞬間から最適なゴールデンバット本来の風味を味わうことができるようになった。
芳醇な味わいとはこういったことなんだろう。
透明で青白いさわやかなタバコの煙が肺に入ると、ラム酒の香と呼ばれる何とも表現し難い香りで心が満たされる。
こんな神経を真から癒すタバコを今まで吸ったことはない。
そもそもタバコとは、嗜好品であって個人の感性、好き嫌いで銘柄が決まる。
タバコを吸わない人にとって、ただの煙に味があるのか?と仰るでしょうが、銘柄によって全て違う。
パッケージに関しても好き嫌いが激しく、喫煙者にそれぞれ完成によって銘柄を選択している。
ゴールデンバットのパッケージは個人的には最高のデザインではないかと私は思う。鮮やかな緑に蝙蝠の絵とGOLDEN BATの金文字。
太宰治が愛してやまなかった理由がうなずける。
というわけで、ゴールデンバットに火をつける。
心休まる時間、永遠に続いてほしい。